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愛媛の城や歴史文化をめぐる旅行者

EHIME HERITAGE GUIDE

愛媛の史跡・歴史スポット

現存十二天守の松山城・宇和島城をはじめ、大山祇神社や内子の歴史ある町並みなど、愛媛の歴史を今に伝える名所をまとめました。城・城跡、神社仏閣、文化財を中心に、歴史散策の行き先をエリア別に探せます。

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松山・中予城・城跡文化財・史跡日本100名城

湯築城跡

伊予国守護・河野氏が約250年にわたり本拠とした中世城館跡です。二重の堀と土塁、復元武家屋敷、全国的にも珍しい土塁内部の断面展示、資料館の出土品から平山城の構造と武士の暮らしを学べる国史跡・日本100名城です。資料館の出土品と屋外遺構を照らし合わせ、日本100名城の歴史をたどれます。

公式・施設情報
松山・中予神社・寺神社

伊豫豆比古命神社(椿神社)

「椿さん」の名で親しまれる、鎮座約2300年と伝わる松山の古社です。伊豫豆比古命・伊豫豆比売命・伊与主命・愛比売命の四柱を祀り、愛媛の県名は愛比売命に由来します。旧暦1月7日から9日の椿まつりは毎年約50万人が参詣し、参道に約800店の露店が並びます。本殿は月ごとに開閉門時間が決まっていますが、参拝自体は24時間できます。

公式・施設情報
松山・中予神社・寺文化財・史跡四国遍路

太山寺

本堂が国宝に指定されている四国八十八ヶ所第52番札所です。6世紀後半、真野長者が一夜で本堂を建てたという伝説に始まり、天平11年に行基菩薩が十一面観音像を刻んだと伝わります。現在の本堂は嘉元3年(1305年)に河野家が寄進した3度目の建物で、仁王門と十一面観音像、歴代天皇の奉納像も国の重要文化財です。安永9年銘の木製納札は現存最古とされます。

公式・施設情報
松山・中予神社・寺文化財・史跡四国遍路

岩屋寺

標高700mの山中、そびえる巨岩の中腹に堂宇が建つ四国八十八ヶ所第45番札所です。弘仁6年(815年)に弘法大師が開き、不動明王を本尊とします。大師堂は国の重要文化財、寺域は国の名勝に指定されています。穴禅定や道開き不動、奥の院へ続く逼割禅定など山岳霊場らしい行場があり、イヨクジャクなどここで初めて見つかった植物でも知られます。駐車場から本堂までは参道を登ります。

公式・施設情報
南予神社・寺神社

和霊神社

宇和島藩初代藩主伊達秀宗の家老、山家清兵衛公頼を祀る神社で、各地に広がる和霊信仰の総本社です。承応2年(1653年)に朝廷の承認を得て正式に祀られました。昭和13年建立の二の鳥居は高さ12m余りの石造りで、須賀川に架かる神幸橋(太鼓橋)の先に神門が構えます。7月23・24日の和霊大祭では神輿の海上渡御と走り込みが行われます。

公式・施設情報
東予神社・寺神社

一宮神社

新居浜市中心部に鎮座し、大山積神・雷神・高おかみ神を祀る神社です。和銅2年に大三島から神を迎えたと伝わり、西条藩主松平家の祈願所六社の一つでした。境内の楠群は国の天然記念物で、最大の一番樟は目通り9.6m、高さ29m、樹齢約1000年とされます。新居浜太鼓祭りでは川西地区の太鼓台が集まるかき比べの舞台になります。

公式・施設情報
松山・中予神社・寺神社

高忍日賣神社

産婆と乳母の祖神である高忍日賣大神を祀る、全国で唯一とされる神社です。安産・子育て・縁結びの神として信仰され、境内の樹齢約1000年とされるクスノキの根元には産土様が鎮座します。拝殿の北側には2本のクスノキが1本の枝でつながった「連理の枝」があり、2005年の回廊修理の際に見つかったもので、仲の良い夫婦の象徴とされています。拝殿には「四季農耕図」など江戸時代末ごろの絵馬額が多数奉納されています。6月下旬から9月は入口の風鈴棚と本殿を囲む風鈴回廊にガラスや陶器の風鈴が並び、夏限定の水みくじもあります。

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今治・しまなみ神社・寺四国遍路

仙遊寺

作礼山の山上にあり、今治の市街地と瀬戸内海の島々、しまなみ海道を見渡せる四国八十八ヶ所第58番札所です。7世紀後半に天智天皇の勅願で越智守興が開き、竜女が刻んだと伝わる千手観世音菩薩を本尊とします。長く山に籠った阿坊仙人が寺名の由来です。弘法大師が病の人のために掘ったと伝わる井戸、竜燈桜碑や犬塚池があり、50人収容の宿坊(要予約)を備えています。

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松山・中予神社・寺文化財・史跡四国遍路

浄土寺

松山市鷹子町にある四国八十八ヶ所第49番札所です。天平勝宝年間に孝謙天皇の勅願で恵明上人が開き、行基菩薩作と伝わる釈迦如来を本尊とします。平安時代中期に空也上人が滞在して教化に努め、国の重要文化財の空也上人像が伝わります。本堂と内陣の厨子も国の重要文化財で、厨子には室町から江戸にかけての落書きが残り、歴史史料として貴重です。

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松山・中予神社・寺四国遍路

大寶寺

四国八十八ヶ所の第44番札所で、全行程のちょうど中間にあたることから「中札所」と呼ばれます。大宝元年(701年)の創建と伝わり、弘仁13年に弘法大師が訪れて真言宗に改めました。本尊は十一面観世音菩薩。平安後期から鎌倉初期の金銅製と伝わる掘出観音や、後白河天皇の妹宮を祀る陵権現、芭蕉塚が境内にあります。150人収容の宿坊があり、次の岩屋寺へは峠越えの遍路道が続きます。

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松山・中予産業遺産文化財・史跡重要文化財

釣島灯台

明治6年に点灯し、瀬戸内海西部の釣島水道を今も見守る日本最初期の洋式灯台です。ブラントンが立地選定から建設まで主導した石造灯台で、旧官舎・旧倉庫とともに国重要文化財です。船便と公開企画を確認して訪れる離島の文化遺産です。島の集落、ミカン畑、瀬戸内海の航路を歩き、灯台と島の暮らしを一体で感じられます。

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今治・しまなみ神社・寺文化財・史跡四国遍路

伊予国分寺

伊予の国府が置かれた地に建つ四国八十八ヶ所第59番札所で、天平13年に行基菩薩が開いたと伝わる伊予国分寺です。本尊は薬師瑠璃光如来。藤原純友の乱から天正の兵火まで焼失を繰り返し、本格的な復興は江戸時代後期からでした。東塔跡の礎石群は国の史跡に指定され、古瓦や『国分寺文書』『大般若経』が伝わります。4月初旬には境内の唐椿が咲きます。

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松山・中予神社・寺四国遍路

浄瑠璃寺

松山市南部の久谷にある四国八十八ヶ所第46番札所で、松山市内8か寺の最初の札所です。和銅元年(708年)に行基菩薩が開き、大同2年に弘法大師が伽藍を修復しました。本尊は薬師如来。正徳5年の山火事で本尊と脇侍を除く多くを失い、天明5年に住職の堯音が托鉢で集めた浄財で再興しました。境内のイブキビャクシンは松山市の天然記念物で、仏手・仏足石や一願弁天堂があります。

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松山・中予神社・寺四国遍路

八坂寺

浄瑠璃寺から約1kmの山の中腹にある四国八十八ヶ所第47番札所です。大宝元年(701年)に役行者小角が開き、815年に弘法大師が再興して霊場に定めました。本尊は恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来。熊野権現を祀る修験道の道場として栄えた歴史があり、極楽と地獄を描いた閻魔堂、鎌倉時代の宝筺印塔、石段途中の「救いの手」が見どころです。毎年4月29日には火渡り修行が行われます。

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松山・中予神社・寺四国遍路

繁多寺

松山市街を見下ろす淡路山の中腹にある四国八十八ヶ所第50番札所です。天平勝宝年間に孝謙天皇の勅願で行基菩薩が開いたと伝わり、本尊は薬師如来。弘法大師の逗留、一遍上人の参籠と経典奉納、京都・泉涌寺との縁、江戸時代には徳川家の帰依を受けた歴史があります。本堂左手の聖天堂には歓喜天像が祀られ、二十四孝の天井絵や「接待一万人」の石柱も残ります。

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東予神社・寺四国遍路

三角寺

愛媛県最後の札所となる四国八十八ヶ所第65番札所で、三島川之江ICから山道を約4km登った山中にあります。天平年間に聖武天皇の勅願で行基菩薩が開き、弘仁6年に弘法大師が本尊の十一面観世音菩薩を刻んだと伝わります。現在の本堂は嘉永2年(1849年)の再建。寺名の由来となった三角の池、薬師堂、高さ7mの銅造延命地蔵菩薩立像があります。

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今治・しまなみ神社・寺四国遍路

南光坊

今治市街にある四国八十八ヶ所第55番札所で、八十八ヶ所のうち寺号に「坊」が付く唯一の札所です。大宝3年(703年)に行基菩薩が開き、大山祇神社の別当寺として歩んだ歴史を持ちます。本尊は大通智勝如来。昭和20年の空襲で大部分を焼失し、本堂・薬師堂・山門は戦後に再建されました。讃岐の金刀比羅宮から勧請した金比羅堂や、書家川村驥山が奉納した菅笠が伝わります。

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松山・中予文化財・史跡津和地島

お茶屋跡

松山藩が瀬戸内航路の接待施設として津和地島に設けた御茶屋の跡です。建物が揃う施設ではなく、地形や石積み、案内から往時の役割を想像する史跡です。常燈の鼻、港、集落と合わせることで、接待と航路安全を担った島の歴史をたどれます。港から集落を歩き、船旅と島の暮らしを含めて歴史をたどれます。

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松山・中予文化財・史跡松山藩

東野お茶屋跡

松山藩初代藩主・松平定行が隠居所として造営した東野御茶屋の跡です。裏千家の千宗庵が関わり、東海道五十三次を写したと伝わる庭園構想を、地形や庭園の痕跡、解説から読み解く史跡です。往時の建物が揃う観光施設ではない点を理解して訪れます。現在は往時の建物が揃う施設ではなく、地形や庭園の痕跡と解説から歴史を読み解く史跡です。

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松山・中予城・城跡文化財・史跡城跡

荏原城跡

河野氏の家臣・平岡氏ゆかりとされる、戦国期の平地城館跡です。方形の曲輪を囲む土塁と堀が残り、土塁上の諏訪神社と周囲の田園から、山城とは異なる在地領主の館と集落の関係を読み取れる愛媛県指定史跡です。土塁上の諏訪神社と周囲の田園を歩き、中世の城と集落の関係を想像できます。

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松山・中予文化財・史跡古墳

八ツ塚群集古墳

松山市恵原町に残る古墳群です。大規模な展示施設ではなく、地形に溶け込んだ複数の墳丘と現地解説から、古墳時代の墓域や地域社会を読み解きます。荏原城跡や遍路札所と合わせると、久谷地域の長い歴史を立体的にたどれます。大きな観光施設ではなく、地形に溶け込んだ墳丘と解説を現地で読み取る文化財です。

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松山・中予神社・寺文化財・史跡公園

義農公園・義農神社

享保の大飢饉のとき、翌年の種にするため麦種を食べずに命を落とした筒井村の農民、義農作兵衛(1688〜1732年)を顕彰する公園です。安永6年に藩主松平定静が碑を建て、明治14年に義農神社、大正2年に頌徳碑が建立されました。作兵衛の墓は昭和28年に愛媛県の指定史跡になっています。園内には墓、銅像、歌碑、顕彰碑が集まり、毎年4月23日の義農祭では式典のほか、野菜や果物の販売、この日だけの義農まんじゅう、子どもたちの義農太鼓や伊予万歳の披露があります。

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今治・しまなみ庭園

三秀園

生名島の立石山のふもとにある日本庭園です。「男装の女傑」と呼ばれ、今東光の小説『悪名』のモデルになった女性事業家・麻生イト(1876〜1956年)が造り、島民に開放しました。名前には安芸・備後・伊予の三州の景色が集まる園という意味が込められています。園の中央に立つ高さ約7m(地上約4.5m)の巨石は弥生時代の巨石文化のものと考えられる立石メンヒルで、上島町の有形文化財です。石質は周辺にないもので、どう運んだかは謎とされ、巨人でいだらぼっちがお手玉をして落としたという民話も残ります。立石港から徒歩5分で、無休・無料です。

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今治・しまなみ城・城跡博物館・資料館歴史

上島町岩城郷土館(旧島本陣三浦邸)

江戸時代に伊予松山藩の島本陣が置かれた三浦邸を、老朽化で存続が危ぶまれた際に三浦家から寄贈を受けて修復し、昭和57年(1982年)4月1日に郷土館として開いた施設です。特別なときにしか開かなかった御成門、主賓の間、畳敷きの便所などが往時のままに直されています。資料室には、18代当主と親交があり来島したこともある歌人の若山牧水と吉井勇の資料を展示しています。岩城港から徒歩3分で、入館は無料です。

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松山・中予

石葺き屋根地蔵堂

この石葺屋根は、牛の峰山頂の地蔵尊(じぞうそん)本堂の切妻(きりづま)造りの屋根である。 屋根葺材は花崗岩(かこうがん)で、その大きさは1枚幅約25センチメートル、厚さ約12センチメートル、長さ約3メートル、軒先部は幅約50センチメートルを使用し、棟部は山型としている。地理的条件から耐久性に重点をおいて屋根葺き材料として使用したものと思われる。 石葺屋根のお堂はあまり例がなく、大変珍しい建物である。

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