
松山城
標高132メートルの勝山に本丸を置く現存十二天守の一つです。重要文化財の天守・本壇、山全体を生かした縄張り、石垣や門を巡り、松山平野と瀬戸内海を望めます。本丸一帯にはソメイヨシノを中心に早咲き・遅咲きを含む約200本の桜があり、春は城郭と桜を一緒に楽しめます。
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EHIME HERITAGE GUIDE
現存十二天守の松山城・宇和島城をはじめ、大山祇神社や内子の歴史ある町並みなど、愛媛の歴史を今に伝える名所をまとめました。城・城跡、神社仏閣、文化財を中心に、歴史散策の行き先をエリア別に探せます。
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標高132メートルの勝山に本丸を置く現存十二天守の一つです。重要文化財の天守・本壇、山全体を生かした縄張り、石垣や門を巡り、松山平野と瀬戸内海を望めます。本丸一帯にはソメイヨシノを中心に早咲き・遅咲きを含む約200本の桜があり、春は城郭と桜を一緒に楽しめます。

道後温泉を象徴する歴史的な公衆浴場です。神の湯・霊の湯、休憩席、貸切室、又新殿観覧から目的に合うコースを選べます。
松山城の8合目にある長者ヶ平まで、約3分のロープウェイと約6分の一人乗りリフトが並走します。共通券で好きな乗り物を選び、往復で乗り比べることもできます。35人乗りのゴンドラで案内を聞きながら長者ヶ平へ向かい、天候を問わず利用しやすい登城手段です。

江戸期の資料をもとに伝統工法で復元された四層木造天守と、重要文化財の櫓が残る城郭です。天守から肱川と大洲の城下町を見渡せます。

石鎚山中腹にある四国八十八ヶ所第60番札所です。山岳霊場らしい参道と権現造りの本堂、春のシャクナゲが見どころ。星ヶ森の鉄の鳥居越しには石鎚山を遥拝でき、歩き遍路では難所『遍路ころがし』を体感します。

1935年に完成した肱川河口の道路可動橋で、現役で動く日本最古の道路開閉橋として国重要文化財に指定されています。赤い姿から『赤橋』と親しまれ、開閉、肱川あらし、港町散策を組み合わせられます。

1916年に建てられた木造芝居小屋で、現在は保存修理工事のため本館を長期休館しています。工事期間中は外観と、裏手で公開される内子座楽屋の展示から歩みや舞台文化に触れられます。

江戸時代から残る三重三階の天守を持つ現存十二天守の一つです。石垣と城山を歩き、宇和島市街と宇和海を見渡せます。

大三島東岸沖の古城島全体を利用した海城跡で、県指定史跡です。島を囲む石垣の一部が残り、春から夏の大潮の干潮時には対岸から砂州が現れる『海割れ』が起こることがあります。村上海賊と瀬戸内航路を考える重要な場所です。
山腹の長い参道と堂宇が自然に溶け込む古刹で、『もみじの西山興隆寺』として知られます。国重要文化財の本堂をはじめ、宝篋印塔や銅鐘などの文化財、春の桜・新緑、秋の紅葉を参拝とともに楽しめます。

松山市中心部にある洋館建築です。歴史的な建物や展示を楽しみたい時の候補になります。

山根公園南側の生子山山頂に、1888年建設の旧山根製錬所煙突が残る産業遺産です。別子銅山の低品位鉱を処理した製錬所の歴史を伝え、登山道を上った山頂から新居浜市街を見渡せます。
約2000万年前の礫岩層が浸食され、円柱状の岩峰や無数の穴をつくる国指定名勝です。県道沿いから迫力ある岩壁を眺め、四国のみちの散策や紅葉、近隣の岩屋寺と合わせて久万高原の地形と信仰文化に触れられます。岩壁の穴や塔のような奇岩から、長い地質作用を目の前で感じられます。

川之江城山公園の本丸跡に再建された天守を中心とする城跡です。戦国期に交通の要衝を押さえた城の歴史を伝え、館内の郷土資料・出土品と、最上階からの燧灘や川之江の市街地の眺望を楽しめます。
江戸期の町割りを残す大洲城下の通りで、商家と武家屋敷の境界だった水路沿いに白壁や石垣が続きます。1966年放送のNHK連続テレビ小説『おはなはん』のロケ地としても知られ、城下町散策の軸になります。

内子の木蝋産業を牽引した上芳我家の住宅・生産施設を保存公開する資料館です。重要文化財の主屋、釜場、出店倉、物置など10棟がまとまって残り、模型と製蝋用具からハゼの実が白蝋になる工程、商家の暮らし、内子繁栄の背景を学べます。
幕末から明治初期に形成された外泊集落で、台風や季節風から家と暮らしを守るため、軒近くまで積み上げた石垣が斜面一帯に連なります。海、急斜面、家並みが一体となった景観から、厳しい自然に適応した漁村の知恵を読み取れます。

別子山麓にある曹洞宗の修行道場です。江戸期の山門、別子銅山の銅を用いた本堂、大転輪経蔵、樹齢約800年の大イチョウが見どころで、日程を確認すれば一般向けの坐禅にも参加できます。

伊予国守護・河野氏が約250年にわたり本拠とした中世城館跡です。二重の堀と土塁、復元武家屋敷、全国的にも珍しい土塁内部の断面展示、資料館の出土品から平山城の構造と武士の暮らしを学べる国史跡・日本100名城です。資料館の出土品と屋外遺構を照らし合わせ、日本100名城の歴史をたどれます。

八幡浜市職員だった建築家・松村正恒が設計し、川沿いの敷地と木造建築を一体化した現役小学校です。明るい教室、片持ち廊下、階段、川へ張り出す構成など、戦後学校建築の革新性が評価され、中校舎と東校舎が国重要文化財です。
四国八十八ヶ所霊場第40番札所で、伊予国最初の札所にあたる真言宗寺院です。一番札所から最も遠いことから「四国霊場の裏関所」とも呼ばれ、本堂、大師堂、山門、十二支守り本尊などを巡りながら長い遍路道の節目を感じられます。

「椿さん」の名で親しまれる、鎮座約2300年と伝わる松山の古社です。伊豫豆比古命・伊豫豆比売命・伊与主命・愛比売命の四柱を祀り、愛媛の県名は愛比売命に由来します。旧暦1月7日から9日の椿まつりは毎年約50万人が参詣し、参道に約800店の露店が並びます。本殿は月ごとに開閉門時間が決まっていますが、参拝自体は24時間できます。
本堂が国宝に指定されている四国八十八ヶ所第52番札所です。6世紀後半、真野長者が一夜で本堂を建てたという伝説に始まり、天平11年に行基菩薩が十一面観音像を刻んだと伝わります。現在の本堂は嘉元3年(1305年)に河野家が寄進した3度目の建物で、仁王門と十一面観音像、歴代天皇の奉納像も国の重要文化財です。安永9年銘の木製納札は現存最古とされます。

成務天皇7年(137年)の創建と伝わる延喜式内の名神大社で、天照大神の荒魂と武国凝別命を祀ります。奈良時代には伊予国第一の大社とされ、国の重要文化財「与州新居系図」を蔵する宝物館があります。10月15・16日の例大祭は西条まつりの中心で、だんじり・みこしが加茂川に勢ぞろいします。

標高700mの山中、そびえる巨岩の中腹に堂宇が建つ四国八十八ヶ所第45番札所です。弘仁6年(815年)に弘法大師が開き、不動明王を本尊とします。大師堂は国の重要文化財、寺域は国の名勝に指定されています。穴禅定や道開き不動、奥の院へ続く逼割禅定など山岳霊場らしい行場があり、イヨクジャクなどここで初めて見つかった植物でも知られます。駐車場から本堂までは参道を登ります。

フィリピンで貿易事業を営んだ松井國五郎が大正15年に建てた別邸です。フィリピン産の希少木材を多用した和洋折衷の建築、精緻な欄間や床、肱川を望む高台の眺めが特徴で、大洲城下の近代建築と実業家の足跡を伝えます。

国史跡の妙見山古墳を核に、芝生広場、複合遊具、花壇、展望施設を整備した歴史と外遊びの公園です。前方後円墳の地形や展示から古墳時代を学び、広場と遊具で体を動かせます。桜や藤など季節の花も楽しめます。
宇和島藩初代藩主伊達秀宗の家老、山家清兵衛公頼を祀る神社で、各地に広がる和霊信仰の総本社です。承応2年(1653年)に朝廷の承認を得て正式に祀られました。昭和13年建立の二の鳥居は高さ12m余りの石造りで、須賀川に架かる神幸橋(太鼓橋)の先に神門が構えます。7月23・24日の和霊大祭では神輿の海上渡御と走り込みが行われます。

内子町中心部の商店街です。八日市・護国の町並みや内子座と合わせて、買い物や寄り道を楽しめる街歩きエリアです。

新居浜市中心部に鎮座し、大山積神・雷神・高おかみ神を祀る神社です。和銅2年に大三島から神を迎えたと伝わり、西条藩主松平家の祈願所六社の一つでした。境内の楠群は国の天然記念物で、最大の一番樟は目通り9.6m、高さ29m、樹齢約1000年とされます。新居浜太鼓祭りでは川西地区の太鼓台が集まるかき比べの舞台になります。

産婆と乳母の祖神である高忍日賣大神を祀る、全国で唯一とされる神社です。安産・子育て・縁結びの神として信仰され、境内の樹齢約1000年とされるクスノキの根元には産土様が鎮座します。拝殿の北側には2本のクスノキが1本の枝でつながった「連理の枝」があり、2005年の回廊修理の際に見つかったもので、仲の良い夫婦の象徴とされています。拝殿には「四季農耕図」など江戸時代末ごろの絵馬額が多数奉納されています。6月下旬から9月は入口の風鈴棚と本殿を囲む風鈴回廊にガラスや陶器の風鈴が並び、夏限定の水みくじもあります。
作礼山の山上にあり、今治の市街地と瀬戸内海の島々、しまなみ海道を見渡せる四国八十八ヶ所第58番札所です。7世紀後半に天智天皇の勅願で越智守興が開き、竜女が刻んだと伝わる千手観世音菩薩を本尊とします。長く山に籠った阿坊仙人が寺名の由来です。弘法大師が病の人のために掘ったと伝わる井戸、竜燈桜碑や犬塚池があり、50人収容の宿坊(要予約)を備えています。
大三島に鎮座する、海や山の信仰とゆかりの深い古社です。しまなみ海道の島めぐりで歴史・文化に触れたい時の定番で、境内散策や宝物館見学を組み合わせて訪れやすいスポットです。

能島村上氏を中心に、瀬戸内海で活動した村上海賊の歴史に触れられるミュージアムです。大島・宮窪エリアで、しまなみ海道の景色だけでなく歴史背景も知りたい時に立ち寄りやすい施設です。

松山市鷹子町にある四国八十八ヶ所第49番札所です。天平勝宝年間に孝謙天皇の勅願で恵明上人が開き、行基菩薩作と伝わる釈迦如来を本尊とします。平安時代中期に空也上人が滞在して教化に努め、国の重要文化財の空也上人像が伝わります。本堂と内陣の厨子も国の重要文化財で、厨子には室町から江戸にかけての落書きが残り、歴史史料として貴重です。
四国八十八ヶ所の第44番札所で、全行程のちょうど中間にあたることから「中札所」と呼ばれます。大宝元年(701年)の創建と伝わり、弘仁13年に弘法大師が訪れて真言宗に改めました。本尊は十一面観世音菩薩。平安後期から鎌倉初期の金銅製と伝わる掘出観音や、後白河天皇の妹宮を祀る陵権現、芭蕉塚が境内にあります。150人収容の宿坊があり、次の岩屋寺へは峠越えの遍路道が続きます。

明治6年に点灯し、瀬戸内海西部の釣島水道を今も見守る日本最初期の洋式灯台です。ブラントンが立地選定から建設まで主導した石造灯台で、旧官舎・旧倉庫とともに国重要文化財です。船便と公開企画を確認して訪れる離島の文化遺産です。島の集落、ミカン畑、瀬戸内海の航路を歩き、灯台と島の暮らしを一体で感じられます。

伊予の国府が置かれた地に建つ四国八十八ヶ所第59番札所で、天平13年に行基菩薩が開いたと伝わる伊予国分寺です。本尊は薬師瑠璃光如来。藤原純友の乱から天正の兵火まで焼失を繰り返し、本格的な復興は江戸時代後期からでした。東塔跡の礎石群は国の史跡に指定され、古瓦や『国分寺文書』『大般若経』が伝わります。4月初旬には境内の唐椿が咲きます。
藤堂高虎が築いた、海水を堀へ引く日本三大水城の一つです。鉄御門、石垣、天守・櫓の展示、瀬戸内海方面の眺望を楽しめます。
松山市南部の久谷にある四国八十八ヶ所第46番札所で、松山市内8か寺の最初の札所です。和銅元年(708年)に行基菩薩が開き、大同2年に弘法大師が伽藍を修復しました。本尊は薬師如来。正徳5年の山火事で本尊と脇侍を除く多くを失い、天明5年に住職の堯音が托鉢で集めた浄財で再興しました。境内のイブキビャクシンは松山市の天然記念物で、仏手・仏足石や一願弁天堂があります。

慶応2年に上棟した大型農家で、主屋、表門、米倉、倉が国重要文化財です。大型直屋の間取り、長屋門、白壁の蔵、武家建築を取り入れた意匠から、庄屋を務めた豪農の暮らしと屋敷構えを学べます。現在は松山市が日曜日に無料公開しています。
浄瑠璃寺から約1kmの山の中腹にある四国八十八ヶ所第47番札所です。大宝元年(701年)に役行者小角が開き、815年に弘法大師が再興して霊場に定めました。本尊は恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来。熊野権現を祀る修験道の道場として栄えた歴史があり、極楽と地獄を描いた閻魔堂、鎌倉時代の宝筺印塔、石段途中の「救いの手」が見どころです。毎年4月29日には火渡り修行が行われます。

松山市街を見下ろす淡路山の中腹にある四国八十八ヶ所第50番札所です。天平勝宝年間に孝謙天皇の勅願で行基菩薩が開いたと伝わり、本尊は薬師如来。弘法大師の逗留、一遍上人の参籠と経典奉納、京都・泉涌寺との縁、江戸時代には徳川家の帰依を受けた歴史があります。本堂左手の聖天堂には歓喜天像が祀られ、二十四孝の天井絵や「接待一万人」の石柱も残ります。

文政11年に松山藩が藩士の文武稽古所として設けた藩校の講堂です。108畳の講堂、入母屋造と錣葺の屋根、火灯窓に教育施設としての格式が表れます。現在は松山東高校内にあり、愛媛近代教育の出発点を伝える県指定有形文化財です。

四国遍路の札所間に残る古道、石畳、道標などを含む国史跡です。複数の区間に分かれ、市街地から峠道まで難易度が異なります。寺院単体ではなく、巡礼者が歩いた道と周辺景観そのものから信仰と地域の歴史を体感できます。

昭和10年に重信川下流域への土砂流出を防ぐため造られた登録有形文化財の砂防堰堤です。瀬戸内の島石を積み上げた大規模な石組みと水の流れが、実用構造物を超えた造形美を見せます。新緑や紅葉、季節行事とともに楽しめる土木遺産です。

江戸時代中期の上層農家の姿を伝える国重要文化財です。茅葺きの主屋、土間、座敷、太い柱梁などから、松山平野の農家建築と暮らしを読み取れます。個人所有のため通常の観光施設ではなく、公開企画や文化財めぐりの機会を確認して見学します。

愛媛県最後の札所となる四国八十八ヶ所第65番札所で、三島川之江ICから山道を約4km登った山中にあります。天平年間に聖武天皇の勅願で行基菩薩が開き、弘仁6年に弘法大師が本尊の十一面観世音菩薩を刻んだと伝わります。現在の本堂は嘉永2年(1849年)の再建。寺名の由来となった三角の池、薬師堂、高さ7mの銅造延命地蔵菩薩立像があります。

正岡子規が17歳まで暮らした家を正宗寺境内に復元した記念堂です。愛用の机、遺墨、写真などから若き日の生活と俳句・短歌革新への歩みを知り、境内の埋髪塔や前庭に展示される坊っちゃん列車の客車も見学できます。

今治市街にある四国八十八ヶ所第55番札所で、八十八ヶ所のうち寺号に「坊」が付く唯一の札所です。大宝3年(703年)に行基菩薩が開き、大山祇神社の別当寺として歩んだ歴史を持ちます。本尊は大通智勝如来。昭和20年の空襲で大部分を焼失し、本堂・薬師堂・山門は戦後に再建されました。讃岐の金刀比羅宮から勧請した金比羅堂や、書家川村驥山が奉納した菅笠が伝わります。

川床の約65mに大小約30〜35個の甌穴が密集する、国指定の特別天然記念物です。トンネル釜、獅子釜、メガネ釜など、水流と礫が硬い岩盤を長い年月かけて削った大規模な造形を、遊歩道から観察できます。
大正11年建築の旧制松山高等学校講堂で、章光堂と呼ばれた国登録有形文化財です。正面の8本のトスカナ式円柱、左右対称の塔、ドイツ下見板張り、縦長窓が端正な洋風外観をつくります。現在も学校行事に使われる現役施設です。

全長約1kmにわたる一枚岩の川床『ナメラ』を清流が滑るように流れる渓谷です。甌穴、奥の滝、岩壁に囲まれた『龍の腹』など、長い浸食がつくった地形を歩いて観察でき、新緑、避暑、紅葉、雪景色と四季の表情を楽しめます。

7世紀から8世紀の地方役所と白鳳期の寺院跡がまとまって残る国史跡です。『久米評』銘須恵器、政庁、正倉、来住廃寺の建物跡から、律令国家が地方へ広がる過程を具体的に示す全国的にも貴重な遺跡群です。

昭和7年に建てられた愛媛県内最古の現役木造校舎とされる伊予市指定文化財です。木造学校建築の原型を伝え、端正な洋風デザインと地域の気候に配慮した配置が評価されています。現在も児童が学ぶ学校のため、外観見学は教育活動を最優先します。

松山藩が瀬戸内航路の接待施設として津和地島に設けた御茶屋の跡です。建物が揃う施設ではなく、地形や石積み、案内から往時の役割を想像する史跡です。常燈の鼻、港、集落と合わせることで、接待と航路安全を担った島の歴史をたどれます。港から集落を歩き、船旅と島の暮らしを含めて歴史をたどれます。

俳人・松根東洋城が昭和25年頃に河之内惣河内神社社務所の一畳を借りて暮らし、俳句指導を行った小さな庵です。句碑と山里の自然を合わせ、東洋城の簡素な生活と文学活動を想像できる東温市指定史跡です。

四国遍路第44番札所大寶寺から第45番札所岩屋寺へ続く、国史跡『伊予遍路道』の一部です。峠御堂、畑野川、八丁坂などに古道の景観が残り、石畳、道標、丁石と山越えの地形から、徒歩巡礼の信仰と道の歴史を体感できます。

縄文時代草創期・早期の生活層が重なる国内を代表する岩陰遺跡です。線刻礫、細隆起線文土器、有舌尖頭器、動物骨などが層位的に出土し、約1万4500年前から続く四国山地の暮らしと信仰を、久万川沿いの地形とともに考えられます。

津和地島の海辺に残る、松山藩が瀬戸内の航路を照らした常燈堂跡です。小さな遺構ですが、島々の間を行き交う船と海峡の地形を目の前に、航路安全に島が担った役割を感じられます。船旅と集落散策を含めて楽しむ島の史跡です。

松山藩初代藩主・松平定行が隠居所として造営した東野御茶屋の跡です。裏千家の千宗庵が関わり、東海道五十三次を写したと伝わる庭園構想を、地形や庭園の痕跡、解説から読み解く史跡です。往時の建物が揃う観光施設ではない点を理解して訪れます。現在は往時の建物が揃う施設ではなく、地形や庭園の痕跡と解説から歴史を読み解く史跡です。

明治21年(1888年)にドイツから導入され、松山―三津間を走ったクラウス社製機関車と客車の実物保存車両です。国内に現存する最古の軽便鉄道車両として国鉄指定記念物・愛媛県指定有形文化財となり、小説『坊っちゃん』で知られる松山の鉄道史を伝えます。
18世紀中期から末期に建てられたと考えられる山村民家を、別子山から移築保存した国指定重要文化財です。茅葺き入母屋屋根、狭い土間、一列に並ぶ部屋、差鴨居や板壁など、山間部の暮らしに適応した古い民家の構造を見学できます。

落差約114mを7段に分かれて流れる段瀑で、その優美な姿から『女滝』とも呼ばれます。夏目漱石が白猪の滝とともに訪れ、紅葉の滝を句に残した文学ゆかりの景勝地でもあり、駐車地点から山道を歩いて深い森の水景に出会えます。

皿ヶ嶺連峰県立自然公園内にある落差約96mの滝です。夏の涼感、秋の紅葉、厳冬期に条件が整ったときの氷瀑と、季節ごとに異なる表情を見せます。滝見台と遊歩道から渓谷の自然を楽しめます。

河野氏の家臣・平岡氏ゆかりとされる、戦国期の平地城館跡です。方形の曲輪を囲む土塁と堀が残り、土塁上の諏訪神社と周囲の田園から、山城とは異なる在地領主の館と集落の関係を読み取れる愛媛県指定史跡です。土塁上の諏訪神社と周囲の田園を歩き、中世の城と集落の関係を想像できます。
伊予絣を考案した鍵谷カナの功績をたたえ、昭和4年(1929年)に建てられた記念堂です。8本のエンタシス柱が本瓦葺きの八角屋根を支え、中央に頌功碑を納める独特の近代建築で、国登録有形文化財になっています。

松山市高浜沖に浮かぶ、クロマツを抱く小さな岩礁です。夏目漱石の小説『坊っちゃん』に登場し、英国画家ターナーの絵を思わせることから『ターナー島』の愛称で親しまれ、梅津寺海岸や船上から瀬戸内らしい景観を眺められます。

松山市恵原町に残る古墳群です。大規模な展示施設ではなく、地形に溶け込んだ複数の墳丘と現地解説から、古墳時代の墓域や地域社会を読み解きます。荏原城跡や遍路札所と合わせると、久谷地域の長い歴史を立体的にたどれます。大きな観光施設ではなく、地形に溶け込んだ墳丘と解説を現地で読み取る文化財です。

明治2年(1869年)に郡中港へ築かれた、高さ約6.2mの花崗岩製石灯台です。大洲藩の米や物産を積み出した萬安港と港町郡中の発展を伝える伊予市指定文化財で、五色浜の松林、内港、夕景とともに海辺を歩いて見学できます。

享保の大飢饉のとき、翌年の種にするため麦種を食べずに命を落とした筒井村の農民、義農作兵衛(1688〜1732年)を顕彰する公園です。安永6年に藩主松平定静が碑を建て、明治14年に義農神社、大正2年に頌徳碑が建立されました。作兵衛の墓は昭和28年に愛媛県の指定史跡になっています。園内には墓、銅像、歌碑、顕彰碑が集まり、毎年4月23日の義農祭では式典のほか、野菜や果物の販売、この日だけの義農まんじゅう、子どもたちの義農太鼓や伊予万歳の披露があります。

生名島の立石山のふもとにある日本庭園です。「男装の女傑」と呼ばれ、今東光の小説『悪名』のモデルになった女性事業家・麻生イト(1876〜1956年)が造り、島民に開放しました。名前には安芸・備後・伊予の三州の景色が集まる園という意味が込められています。園の中央に立つ高さ約7m(地上約4.5m)の巨石は弥生時代の巨石文化のものと考えられる立石メンヒルで、上島町の有形文化財です。石質は周辺にないもので、どう運んだかは謎とされ、巨人でいだらぼっちがお手玉をして落としたという民話も残ります。立石港から徒歩5分で、無休・無料です。
約1万4500年前の縄文草創期から後期まで人々が暮らした上黒岩岩陰遺跡の出土品を紹介する考古館です。線刻礫、土器、石器、装身具や動物骨などから、四国山地で営まれた長い暮らしと信仰を学べます。

約1400年前の古墳時代後期につくられた、最大約41mの長円形古墳を保存・公開する史跡公園です。未盗掘の横穴式石室や5基の埋葬施設から、当時の葬送儀礼を具体的に学べます。

江戸時代に伊予松山藩の島本陣が置かれた三浦邸を、老朽化で存続が危ぶまれた際に三浦家から寄贈を受けて修復し、昭和57年(1982年)4月1日に郷土館として開いた施設です。特別なときにしか開かなかった御成門、主賓の間、畳敷きの便所などが往時のままに直されています。資料室には、18代当主と親交があり来島したこともある歌人の若山牧水と吉井勇の資料を展示しています。岩城港から徒歩3分で、入館は無料です。
鎌倉時代創建と伝わる禎祥寺の境内に、県・市指定天然記念物の藤があります。樹齢400年余りと伝わる枝が広く伸び、長い花房が境内を覆います。

西条市丹原町の山際にある寺院で、境内には各種の桜の古木が約300本あります。品種や古木ごとに咲く時期が異なり、花期が約1か月に及ぶと市が案内する、ゆっくり花見を楽しめる場所です。参拝場所であることに配慮して過ごしてください。

丹原町高松の神社周辺約1ヘクタールに、ソメイヨシノの変種「陽春」が約200本植えられています。西条市が毎年開花状況を発信しており、まとまった陽春の花景色を楽しめる場所です。
松山市指定天然記念物の薄墨桜を守る寺院です。境内には早咲きの桜、ソメイヨシノ、西法寺で生まれた品種、薄墨桜などがあり、品種ごとに時期をずらして咲きます。薄墨桜は白に淡い紅を帯びた八重咲きで、伊予の名桜として受け継がれています。

住友家初代総理人・広瀬宰平の旧邸宅と庭園、展示館を中心とする歴史公園です。近代産業の歩みを伝える建築や庭園を巡れ、春には市が開花状況を発信する園内の桜も楽しめます。

俳人・正岡子規の生涯と俳句文化を紹介するミュージアムです。松山の文学・歴史観光に向いています。

大宝寺境内に立つシダレザクラで、松山市指定天然記念物です。松山城主・加藤嘉明の子の明成が花見の帰りに振り返って美しさをたたえたことから、この名が付いたと伝わります。寺院の境内で由来を感じながら静かに鑑賞する一本桜です。

大三島町宮浦の寺院で、境内の優雅なシダレザクラが今治市の公式桜スポットとして紹介されています。大山祇神社周辺の散策と合わせつつ、寺院では静かに枝垂れる一本の桜を鑑賞する場所です。

菊間町の寺院に立つ、樹齢400年以上といわれる一本の老桜です。掌禅寺の山号「金龍山」にちなみ金龍桜と呼ばれ、寺院の境内で長い年月を重ねた桜を静かに鑑賞できます。

別子銅山の歴史を知ることができる施設です。新居浜の産業遺産を巡る時の候補になります。

松山城の二之丸跡に整備された史跡庭園です。城山公園の散策と合わせて楽しめます。

肱川の崖上に建つ臥龍院・不老庵と庭園が一体になった数寄屋建築です。素材と意匠、川を取り込む眺望を楽しめます。

別子銅山の歴史に触れられる、道の駅を兼ねた新居浜の観光拠点です。鉱山観光、温浴、土産物、親子の休憩をまとめやすく、東予ドライブの立ち寄り先として使いやすい場所です。

1901年に大洲商業銀行本店として建てられた、イギリス積み煉瓦と和瓦の和洋折衷建築です。物産と無料休憩所も利用できます。
木蝋で栄えた商家と黄色い漆喰壁が約600m続く、四国初の重要伝統的建造物群保存地区です。現在も住民が暮らす町を徒歩で巡ります。

宇和島市立歴史資料館ならではの芸術・歴史・自然・地域文化を詳しく楽しめる観光スポットです。

宇和民具館ならではの歴史・文化・自然を詳しく楽しめる観光スポットです。

吉田ふれあい国安の郷ならではの芸術・歴史・自然・地域文化を詳しく楽しめる観光スポットです。

旧広瀬邸・広瀬歴史記念館ならではの歴史・文化・自然を詳しく楽しめる観光スポットです。

紫電改展示館ならではの歴史・文化・自然を詳しく楽しめる観光スポットです。

石鎚神社 口之宮本社ならではの歴史・文化・自然を詳しく楽しめる観光スポットです。

遊子水荷浦の段畑ならではの歴史・文化・自然を詳しく楽しめる観光スポットです。

伊佐爾波神社の歴史・自然・地域文化を詳しく楽しめる観光スポットです。
宇和島市立伊達博物館の歴史・自然・地域文化を詳しく楽しめる観光スポットです。
開明学校の歴史・自然・地域文化を詳しく楽しめる観光スポットです。

高茂岬の歴史・自然・地域文化を詳しく楽しめる観光スポットです。
石手寺の歴史・自然・地域文化を詳しく楽しめる観光スポットです。

天赦園の歴史・自然・地域文化を詳しく楽しめる観光スポットです。

別子銅山 東平の歴史・自然・地域文化を詳しく楽しめる観光スポットです。

面河渓の歴史・自然・地域文化を詳しく楽しめる観光スポットです。
松山市中心部に立つ歴史的な庁舎建築です。外観見学や建物巡りで立ち寄れるスポットです。

松山市内の考古遺物や埋蔵文化財を展示する施設です。地域の歴史に触れたい時の候補になります。

俳人・種田山頭火ゆかりの草庵です。松山の文学・歴史散策の立ち寄りスポットとして知られています。

江戸時代の俳人・栗田樗堂ゆかりの松山市の庵です。松山の俳句文化を伝える歴史スポットです。

道後エリアで温泉文化を楽しめる施設です。道後散策と合わせた屋内スポットとして使いやすい候補です。

この石葺屋根は、牛の峰山頂の地蔵尊(じぞうそん)本堂の切妻(きりづま)造りの屋根である。 屋根葺材は花崗岩(かこうがん)で、その大きさは1枚幅約25センチメートル、厚さ約12センチメートル、長さ約3メートル、軒先部は幅約50センチメートルを使用し、棟部は山型としている。地理的条件から耐久性に重点をおいて屋根葺き材料として使用したものと思われる。 石葺屋根のお堂はあまり例がなく、大変珍しい建物である。